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とうとう社会人になったもずくさん。だが現実は想像以上に過酷で毎日涙してばかり…。今までのユーモアさをもって乗り切れるのか?!
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というわけでね、ついに念願の
ローマ展に行ってきたわけですよw

撮影禁止だったから、ここのHPに載ってる写真載せながら、
展示会で必死に書き写したローマの説明文を載せていこうか。


Ⅰ.帝国の繁栄
 長期にわたって国内を荒廃させ、50万人以上の死者を出した市民戦争の後、アウグストゥスのもとでローマ帝国が誕生しました。彼の治世は、当時の人々が「黄金時代」とよぶほどにローマ史上最も繁栄した時代でした。
 アウグストゥスは、慎重さと敬意をもって統治に身を捧げ、本質的には君主政でありながらも、形式的には共和政を保ち続けたのでした。彼は「インペラトル」(軍最高指揮官)でしたが、自分を「アウグストゥス(尊厳者)」や「プリンケプス(第一人者)」と呼ばせたように、あくまで元老院とローマ国民の意図によって授けられた権限として、自らを君主とみなすような立場や肩書きを負うことは決してありませんでした。
 国民の賛同を確固たるものとするため、少なくとも形式上は、共和政と元老院の行政権を再導入し、それにより元老院は、彼を執政官、行政官、監察官、元老院の第一人者、大神祇官に同時に任命することで、多大な権力を授与したのです。前23年に終身の護民官職権を得、それにより帝国統治のあらゆる分野に介入できるようになりました。そして前2年には「国父」となりました。
 後14年、76歳でノラ近郊(おそらく現在のソニア・ヴェスヴィアーナ周辺)で亡くなった初代皇帝を、ローマは神として称揚しました。遺骨は、ローマのカンプス・マルティウスにある彼の墓廟に葬られたのでした。アウグストゥスの死の時点で、帝国は今や揺るぎないように思われ、最も幸福な時期を過ごしていました。


アウグストゥスの像。めっちゃ大きかった。
像はすごく体格のいい体つきだったけど、この人本当はすごく病気がちだったんだよね。
それを承知の上で、カエサルも彼の本質を見抜いて後継者に選んだんだから、
その慧眼には感服するしかないですねw


アウグストゥスの右腕の、アグリッパの像。
アウグストゥスは平和な時代の統治はものすごくうまいんだけど、軍事の才能がなかったから、
カエサルは、彼がちっちゃいころからアグリッパを手下につけて共同で危機に望めるようにしたんだって。
アグリッパは奴隷だけど、ローマの奴隷は主人の子と同じように教育を受けたりして密接に関わるから、
アウグストゥスとは強い絆で結ばれてたんですねw
その後アウグストゥスの娘のユリアと結婚してます。年齢差激しいw
すごい健康な人なのにアウグストゥスより先に死んじゃう(′・ω・`)


Ⅱ.アウグストゥスの帝国とその機構
 アウグストゥスのもと政治システムに大革新が起こり、その変化は経済、軍事、行政、法律、文化にまで及びました。絶大な権力を持っていたにもかかわらず、アウグストゥスは「世間の常識に反しない」ことを常に心がけていました。しかしもちろん、ひとりの人間にこのようにさまざまな権力や公職が恒常的に集中するのは前代未聞のことでした。
 嫁婿マルクス・アグリッパの貴重な助力を得ながら、アウグストゥスは数多くの公共建築を修復・建造し、ローマをモニュメンタルな都市につくり変え、行政上は、神殿や公共建築の管理・維持を任務とする管理官2名を新設しました。また、新たに3つの警備隊長官職を制定し、街はより安全になりました。その他、テヴェレ川の治水管理官5名も設置されたのでした。
 アウグストゥスは定期的に小麦を提供し、公共施設(浴場、水道、公共広場)を建築することで、下層階級に対してより公正な社会政策も推進しました。食糧供給管理官を中心とした監視組織と、小麦の配給に当たる食料給与管理官2名を創設するとともに、新たにふたつの水道も建造され、3人の水道管理官がその管理を担当しました。
 また、地中海世界に平和がもたらされたことにより、経済と商業が再び活性化すると、港や道路、橋の建設にもはずみがつき、前例のない領土拡大の計画が推進されました。進路網も拡大し、イタリア内外にある道路の維持管理のため、道路管理官が任命されました。
 またアウグストゥスは、志願兵による軍団を再編成し、兵役を16年間、後には20年間とし、軍隊のなかでもより高度な任務を望む人々のための職階を制定し、職業としての指揮官も導入しました。さらに、退役軍人の手当を支払うための軍人基金も創設されました。また国の財務行政も再編しました。あらゆる兵士たちに給与と除兵時の特別手当を支給し、国の政務官には給与の他にも補償金が与えられることになりました。第一の公庫であり続けた従来の国庫に加え、皇帝財庫が創設されたことにより、アウグストゥスは、行政、軍事上の必要があればいつでも、それに応じた金額を自分で引き出すことが認められていたのでした。皇帝は帝国中の経済政策を司り、資金が公正に分配されることを保証し、そして支配下の住民たちに、ローマによる支配を呪いではなく、恵みと感じさせることに成功したのでした。
 共和政をただ表面的にだけ維持し、その中に「市民の中の第一人者」アウグストゥスの個人的威信という新たな概念を注入していくことは、国家構造を根底から変化させることになりました。こうして、共和政最後の世紀に生じていた矛盾は解消され、ローマ帝国が生まれたのでした。


なんかこっから絵の展示品が多くなる。
神様ゼウスが人間の娘っこイオに恋しちゃったんだけど、
奥さんにバレたらヤバいからイオを牝牛に変身させておいたら、
それでも奥さん気づいちゃって追われちゃったって話。
エジプトに逃れたってことから、エジプト神のイシスと同一視もされてるらしい。


イシスの儀式、と題されてるけど詳細は不明w
まぁイシス神を祭ってワイワイやってるんじゃないかねw


Ⅲ.帝国の富
 アウグストゥスは、政治再建のかたわら、文化の刷新にも力を入れました。ギリシアを範としながらも、ローマの伝統と擬クラシック様式というふたつの要素を融合させ、新たな美の形をつくり出したのでした。アウグストゥス時代、芸術はかつてないほどの隆盛を見せ、建築、彫刻、モザイク、絵画に加え、貴金属細工、銀器、貨幣の鋳造、彫玉など、さまざまな分野に及んでいます。
 この時期の芸術の活力と富を物語る興味深い造営事業は、とりわけ都市ローマで顕著でした。たとえば、帝国全土から高価な大理石を取り寄せて装飾されたアウグストゥス広場、当時の彫刻芸術の粋を極めた浮彫を施されたアラ・パキス(平和の祭壇)、あるいはパラティヌス丘の「アウグストゥスの家」や「ファルネジーナの別荘」の壁画装飾など、ローマでは大規模な建造物がいくつも建設されたのでした。ポンペイでも、こうした富の一端を目にすることが出来ます。とりわけ「黄金の腕輪の家」の田園風景の壁画は、ローマのプリマ・ポルタにある「リウィアの別荘」の壁画のテーマを繰り返しており、そのほか家具装飾や火鉢、鼎、ランプ、壺などの日用品にも、帝国の富の繁栄を見ることができます。
 アウグストゥスによる都市の再開発計画とインフラ整備が刺激となって、土木技術もまた大幅に進歩しました。しかし、ローマ人が最も得意としたのは、水道技術の分野でした。実際、水の供給、分配、排水こそは、ローマの都市インフラの基盤で、ピストン式のポンプや水車で稼動する製粉機も導入されました。その他、泉や水盤の噴水装置も発達しました。農畜産業においては、ローマ人の用いた技術があらゆる属州で有効活用され、さまざまな農作物の栽培や特殊な家畜の飼育が、従来そのような産業が存在していなかった地域にまで拡大するようにもなりました。
 道路網や海上輸送が強化改善され、平和で安全な環境が整ったおかげで、遠隔地との交易も活発化しました。ヒスパニアとブリタニアからは金属を、アフリカからは金、象牙、高級木材、ゲルマニアからは毛皮、琥珀、木材が運ばれたのでした。また、ポンペイ製の葡萄酒用アンフォラはインドでも見つかっています。
 アウグストゥスの治世は、文学史上、最も豊かな時代でもありました。アウグストゥスの計画方針や政治原則は、それに賛同する同時代の文化人たちの協力で、文学を通じて表現されるようになりました。アウグストゥスは詩人や芸術家たちに取り囲まれていることを好み、友人であり助言者でもあったマエケナスに助力を仰ぎながら、彼らに保護と援助の手を差し伸べたのでした。
 アウグストゥスが推進したイデオロギー的かつ文化的な施策は、その後何世紀にもわたって類を見ない、きわめて高い水準の発展と繁栄を帝国にもたらしたのでした。本店に出品された高価で貴重な品々は、帝政初期のイメージ戦略がいかに芸術との関係を変化させたかを物語っています。芸術は帝国全域にローマ文化を広めるための、特殊な伝達手段へと変貌したのでした。

 
ポンペイの「黄金の腕輪の家」の一室に描かれた壁画。
上にぶら下がってる生首は劇の仮面だそうですw
大きく剥がれてしまってるのが残念(′・ω・`)
右側に穴が開いてるのは、その中に噴水が埋め込まれてたから。
映像でCG再現されててすごく綺麗でした!

   
装飾品とか。
他に、この時代に鋳造された貨幣も展示されてて、
古銭コレクターなもずくさんにはktkrな感じでしたw
ショップでレプリカとか売ってたら迷わず買ってただろうなぁ…ww


最後に、特別展示品らしいミネルウァ神。戦いの女神様であります。
しかし、戦いの神様なのに女神とは。この像もスカートだし。
やっぱり勝利に微笑んでくれるのは女性がいいってことなのかw
まぁローマは多神教で軍神マルスはムッキムキの男神だし問題ないんだろうけどw

+++

ってなわけで、すごい勉強になりました!
事前に勉強した甲斐があって、時代背景とかもよくわかったw
やっぱ展示会とか行くなら予習が欠かせませんね!2倍も3倍も楽しめます♪
本当は、ここの美術館のレストランで
ローマ展にちなんだ特別メニューがあったから食べようと思ってたんだけど、
展示見終わって行ったら完売してた…_| ̄|○
そういうのは最初に食べておくべきでしたね。以後気をつけます(′・ω・`)
ミュージアムショップではクリアーファイルとしおりを買いましたw
久しぶりにルネッサンスな1日でした。もずくです。w
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無題
うはwww
何がなんだかわからないwww
そう、俺だけじゃないはず!?w
サチト 2009/12/18(Fri)02:39:05 編集
Re:サチト
マジか~(′・ω・`)
ウチの友達も、アウグストゥスどころかスキピオさえも知らなかったんだよねww
世界史マイナーすぎる_| ̄|○
【2009/12/18 18:10】
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